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『いじめ』について
いじめは、いわゆる『いじめ問題』として、ここ最近ずいぶん騒がれていますが、この問題は何も今に始まったことではありません。私たちが子供の頃から、いやそれどころか、おそらくは太古の昔からる問題だと私は考えていす。誤解を怖れずに言えば、いじめは、日本の文化、あるいは、日本人のものの考え方に内在するものだと思われるからです。つまり、日本人が日本人である限り、この問題は解決しないとさえ言えるかもしれない。それほど根が深い問題なのです。それこそ、小手先の教育制度改革などで解決するような単純なものではありません。そんなことよりも、私達が日本人である限り、誰しもいじめの加害者になり得るという事実を認識し、受け入れることが必要だと思います。こんなことを言うと、「私はいじめに加わったことなどない。失礼な」という声が聞こえて来そうですので、以下に敷衍しておこうと思います。
日本人は伝統的に人の和(輪)を大切にして来ました。もちろんそれ自体は悪いことではありません。しかし、それは同時に、自らが属する集団の仲間(ウチ)とそれ以外の人間(ソト)という区別(ある意味では差別)する考え方を生み出すことにもなります。こうした考え方に基づいて形成される集団は、ウチ輪の者には、互いに安心でき、非常に居心地がよい家族的な集団である面、輪の外にいる人間は赤の他人であり、その他人に対しては、極端な場合、どんな犠牲を強いても何の罪悪感も覚えない、そんな排他的な集団にもなり得るのです。少し前の雪印事件や後を絶たない種々の談合事件は、こうしたメンタリティがその根本にあると思われます。すなわち、ウチ輪の人間の利益だけを考えて違法な便宜を図ることについても、ソトの人間に対していかなる犠牲を強いることについても、何の罪悪感も覚えない、そういう精神構造が日本人にはあるのです。当然それを反映するはずの社会構造にも、そうした排他的な風潮があるのは仕方のないことでしょう。「親しき中にも礼儀あり」と言いますが、皮肉を込めて言えば、現実は「親しき中しか礼儀なし」と言えるのではないでしょうか。日本人のありとあらゆる集団には、大人が組織する企業から子供の形成する仲間の集団まで、程度の差はあっても、こうした排他性が内在しているものなのです。
この排他性は、一般に、集団内で人の和(輪)が強固であればあるほど強くなる傾向にあります。というのも、日本人の集団の結束力は成員の同質性に支えられているからです。つまり、何か問題が持ちあがると、成員全員がそれを同じように受け止め、感じ、憂え、考えることこそが、その集団の強さであり、チームワークだと日本人は思っているところがある。こうした集団内では個性が育つはずもありません。それどころか、集団の同質性=結束力を保持するためには、協調性という御旗の下に、個性が、異質なもの、害悪として、おおっぴらに圧殺されることさえあります。同質性を保持するために、異質なものを排除する。これが、子供たちの(時に大人も加わった)集団で起こるいじめの本質的な構造ではないかと私は考えているのです。
こう考えると、ある集団の中でいじめられている者がいた場合に、その集団に属さない者たちがとる無関心という反応も、納得がいくのではないでしょうか。その集団の輪に属していない者からすれば、どんな犠牲を強いても構わない他人のこと、まさに他人事なのです。いじめに対して、こうした無関心あるいは傍観者的な立場をとることが、日本人特有の反応であるという事実も、上記のように日本文化に内在する問題であると考えなければ説明がつかないのです。ちなみに、欧米文化圏では、いじめを止められなかった人は止められない自分の弱さや非力さを恥じる気持ちが起こるのです。しかし、日本人の多くはそうは感じない。むしろ、いじめられる人間に非があると考えることの方が多いはずです。我々日本人は無意識のうちに、和を保つという文化的には善行である行動とることで、異質なものを排除するいじめを行ってしまうというジレンマにあるのです。したがって、私達ひとりひとり、誰もがいじめの加害者たりうるのです。
この事実を認識しない限り、この国のいじめはなくならないと思います。これは個人の問題であるだけでなく、日本という国家の問題でもあると思います。自らがどういう価値観に従って行動しているのかを自覚せずに、無意識に正しいと信じていることを、まるで普遍の真理であるかのように他人に強要する行き方は、異文化を理解し、受け入れることが不可能な状態、ある意味理解を拒否していることを意味するからです。日本人の外国語下手、外交下手の根本的な原因もここにあると思えてなりません。現状では自国の伝統的な価値観を理解しようという動機が起こり得ませんから、当然、歴史音痴にもなります。この国が過去に犯した大きな過ちを再び繰り返さないためにも、国民ひとりひとりが自らの従う価値観を認識し、理解しなければならないのです。
本来、教育というのは、そのためにこそあるはずです。教育に関わる現場の教師の方々、お父様お母様方、ぜひ御一考を。私どもも今後も教育のあり方を真摯に考え、取り組んで参りたいと思います。
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【2006/11/28 15:53】
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初めてブログというものを書きます。非力ながら「教育」にお悩みの皆様のお役に立てるような内容が書ければと思っております。
【2006/11/22 22:06】
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