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学力低下とゆとり教育
 学力低下の原因については、様々な議論がありますが、

いわゆる「ゆとり教育」の失敗にその原因を求めるものが多いようです。

もちろん、それも原因の一つでしょうが、それだけに原因を求めるのは、

あまりに短絡的ではないかと思うのです。

 たしかに、すべて教育制度のせいだということにしてしまえば、

誰も傷つかないですむ。子供の学力の低さについて、

親は「自分の責任ではない」と思えるし、

子供は「教えてくれなかったんだから分からなくて当然」と開き直れるし、

教師は「自分はただ国の方針に従っただけ」と主張できる。

結局、誰も心の痛みを覚えずにすみ、

結果、自分自身については誰も何も変えずにすむ。

変わるのは、制度という中味のない虚構だけ。

 しかし、本来、「何かを変える」ということは、

「今までのやり方を捨てる」ということであって、

その際には、当然、痛みが伴うもの。

変化に苦痛はつきもののはず。

それは、一個の人間であれ、国という組織・制度であれ、同じ。

人は、変化や変革には必ず抵抗を感じ、慣れ親しんだやり方に固執するもの。

それを捨てるときには大変な痛みを覚える。

裏を返せば、痛みを伴わない変化や変革は何の前進ももたらさない。

痛みの伴わない変化変革はいわば化粧直しであって、

見せかけの変身でしかない。組織・制度の変革も、自己の変革も。

 教育が子供の成長を促すものである以上、

教育者は子供に対して自己変革を迫る必要がある。

成長とは(とくに思春期は)、人間にとって最も重要で重大な変化です。

その過程で、人は大変な苦痛を経験します。

成長という変化・変革の過程においても苦痛は避けて通れないものなのです。

 苦痛を味わうのは、何も成長する本人だけではありません。

教育の現場では、教育者たる大人(親も教師も)と子供の双方が大きな痛みを

経験するものです。

子供が間違った道へ進もうとすれば、教育者たる大人は体を張ってとめる義務

があり、子供に自己変革を求めて行くという責任がある。

そのとき大人は、自らも自己変革を厭わない覚悟が必要です。

でないと、必ず子供は大人のウソを見抜く。

自分がろくに勉強していない大人が子供にいくら「勉強しろ」といっても無駄

なように。

 大人がその義務と責任を果たしているからこそ、

子供は大人の言葉に耳を傾ける。

そうであってこそ子供は成長すること、変化することに挑戦する。

 ところが今は、皆が、本来避けられないはずの苦痛を嫌がり、

それから何とかして逃げようとしているように見える。

大人も子供も。

変革を恨み、変化を嫌い、成長を拒んで、今の自分にしがみついているように

思う。そこに教育はない。あるのは、自己を全面的に肯定し、絶対化する、

一見強固で、実は脆弱なメンタリティを抱えたまま、そんな自分を誰かに認め

てもらいたくて彷徨う人々の群れ。

 「ゆとり教育」に問題があるとすれば、制度そのものではなく、

「ゆとり」と称して、上記のような変化や成長に不可欠な苦痛まで排除するの

を良しとした社会的な風潮、そして何よりも、その風潮を生み出すのは社会を

構成する人間ひとりひとりにあるにもかかわらず、自分にも責任の一端がある

とは感じない全面的自己肯定的なメンタリティにあるのではないかと思うので

す。

 「そんなこと知らん」

 と平気で逆ギレする子供。

 知らないのは恥ずかしいこと、自分が悪いと教えない大人。

 そんな環境で育った子供が本気で学ぶはずがないでしょう?