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努力 その5
5.目標を持って努力すること

 『努力その3』で、「役に立たないと思うからと言って、努力しないのは間違いだ」と書きましたが、かと言って、やみくもに努力すれば全てがうまく行くというわけではありません。同じ努力をするのにも、正しい努力と間違った努力があります。

 自分は本当に一生懸命頑張っているのに、いつまで経っても「努力していることを忘れる」状態になれず、ずっと苦しい辛いと感じている人は要注意です。それは間違った努力をしている可能性が高いからです。

 努力というのは、本来、今の自分にはできないことを、できるようにするためにやるもののはずです。したがって、目標のない努力というのはありえません。人は、目標を達成したときの喜びがあるから努力するのです。また、その喜びを知っているからこそ、努力しているときに苦しい辛いとは思わないのです。なのに、いつまで経っても苦しい辛いと感じるということは、目標を達成するためではなく、現状を維持するためだけに頑張っているからではないかと思うのです。あるいは、「自分はこれだけ頑張っているのだから」という安心感が欲しいためにやっているのかもしれません(日本人のする努力は伝統的にこの傾向が強いと思います)。

 いずれにせよ、そういう人は、なかなかできるようにならない時、闇雲に練習時間や勉強時間を増やすといったやり方をします。そういう努力の仕方をする人は、時間をかければかけただけ、それに比例した結果が得られるという前提に立っています。つまり、「努力=時間の長さ」と考えているわけです。この考え方は、ある意味では間違っていないのですが、それがうまくいくのは、あくまでも正しい方向で努力しているときに限られます。確かに、同じ能力の人間が、同じように正しい方向で努力したとしたら、かけた時間の多寡で勝負が決まるでしょう。しかし、間違った方向でいくら努力したところで、かけた時間ほどは結果が得られません。そのままでは、苦労の割に報われない状態が続き、意欲がどんどん失われて行くことになるでしょう。それでもめげない真面目な人の場合は、スポーツならそのうち体を壊すことになるでしょうし、勉強なら分かったつもりでいて本当の理解からはどんどん遠ざかって行くことになるのです。

 こういうケースは、スポーツで幼少の頃から誤った英才教育をほどこされた人や勉強なら早くから受験勉強をして来た(させられて来た)ような、いわゆる秀才に多く見られます。彼らは、今まで、そこそこの結果を出して来ていただけに、それが間違いだということをなかなか認めようとはしません。慣れ親しんだやり方を捨てるのが不安なのです。恐いのはわかりますが、それに負けて新しいことにチャレンジする気持ちを忘れ、現状に満足(安心)してしまったら、そこで終わりなのです。誤った教育の犠牲者で終わりたくなければ、正しい方向へ一歩踏み出すしかないのです。

 正しい方向で努力するためには、明確な目標が必要です。目標とは、「是が非でもそれを達成したい」という強い願望に基づくものでなくてはいけません。「どうしてもそうなりたい」という強い願望に支えられているものが本当目標なのです。「そうなれたらいいなぁ」という程度では目標とは言えません。勿論、誰かに与えられたり、吹き込まれたりしたものは論外です。そんなものはすぐに忘れてしまうでしょう。

 「達成したい」という強い願望に支えられた本当の目標というのは、いついかなるときでも念頭を離れないものです。スポーツ選手なら、「うまくなりたい」「勝ちたい」と強く願い、そのために「この技術を習得するんだ」という目標を立てたら、一瞬たりともそれを忘れることはないはずです。それが正しい努力をしている状態なのです。そういう本当の努力を重ね、目標を達成したときには、至福の瞬間を味わうことができます。そして、そこから振り返ったときには、苦しかったことや辛かったことも、充実した人生の証(あかし)として燦然と輝いていることでしょう。