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努力 その7
7.できるだけ早く自分の才能を見出だそう

 「努力その6」で、幼い時に思い描いた将来の夢(長期的な目標)を信じ続け、それを実現した人がいたら、その人こそ天才だと書きました。しかし、その人に生まれつき才能があったのかどうかは実は誰にもわかりません。なぜなら、天才と呼ばれるのは、その人が何かを成し遂げた後になってからであって、初めからそう呼ばれていたわけではないからです。だから、人が誰かを天才と呼ぶのは、結果論に過ぎないのです。イチロー選手が無名だったころ、誰が彼を天才と呼んだでしょう?

 そういう意味では、まだ天才とは言われていない天才もいるだろうし、もしかすると、誰もが何かの天才なのかもしれないのです。ただ、幼い頃に思い描いた将来の夢を信じ続けて実現した人というのは、「人生の非常に早い時期に自分の進むべき道を決める」という、普通の人には到底できない決断をしたという意味で天才なのです。若いうちは特に、あれこれと、他にやりたいことや誘惑も多いものですから。

 「天才と馬鹿は紙一重」と言います。それは、天才と言われる人の多くが、あまりにも早いうちから一つのことに没頭したために、普通の人なら当然身につけているはずの基本的な知識や当たり前の能力がなく、馬鹿に見えることがあるからだと思います。つまり、何かの才能(能力)を伸ばすということは、他の能力をあきらめるということでもあるのです。

 一人の人間が、一生という限られた時間の中で、何事かを成そうとするとき、そんなに多くのことができるはずがありません。たとえば、イチロー選手がメジャーリーグの年間最多安打記録を更新すると
同時に、ノーベル賞を受賞するような学問的な研究成果をあげることは不可能です。イチロー選手は、まだ世間に天才だと認められる前に、そうした他の道、他の可能性をあきらめることができたからこそ天才なのです。

 このように、人生の限られた時間の中で何かを成そうと思うのなら、できるだけ早い時期に何か一つのことに目標を絞るということが、大変なアドバンテージになります。しかし、それには大変な勇気と決断力が必要です。もしかすると、自分の選択が間違っていて、十年後二十年後になってから自分には才能がなかったという事実に気がつくかもしれないのですから。特にプロスポーツ選手を目指すのは苛酷なことだと思います。年齢という壁がある以上、間違った選択をしたら取り返しがつかないことになるのですから。彼らは、それだけのリスクを負う勇気のある人間だからこそ、高い年俸をもらう権利があるのだと思いますし、尊敬に値するのだと思います。

 たとえイチロー選手ほどの偉業を達成することはできなくても、誰しも何らかの才能を持って生まれて来るものだと私は信じています。しかし、それを見出せる人間は少ない。その原因は、多くの人が「何事にも全力を尽くす」ということができないこと、そして、他の選択肢と様々な誘惑を断ち切って「一つのことに全力を傾注する」ことができないことだと思うのです。

 「何事にも全力を尽くし、自分の才能を見出したら、他の選択肢と様々な誘惑を断ち切って努力すること」これこそ「正しい方向で努力すること」なのだと思います。かく言う私も「もう少し早くこのことに気づいていれば」と後悔している凡人の一人なのですが。
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努力その6
6.当面の問題に全力で取り組むこと

 『努力その5』では、本当の目標を持つことが正しい努力をする前提だと書きましたが、そもそもその目標自体が見つからないという人や、目標自体を見失ってしまった人もいることでしょう。そういう人は、目標というものについて、もう少し具体的に考えると良いと思います。

 目標は大きく分けて「短期的な目標」「中期的な目標」『長期的な目標」の3つです。
 たとえば、勉強なら次のテストで何点取りたいとか、スポーツなら今度の区大会で優勝したいとかというのは「短期的な目標」です。本番までの時間がせいぜい数週間というところでしょう。

 「中期的な目標」は、勉強なら次の学期の成績をこれくらい上げたいとか、どこの学校に合格したいということ、また、スポーツなら来年の全国大会出場を目指すというような、数ヶ月~1年単位での目標です。長くてもせいぜい2年というところでしょう。

 最後に、「長期的な目標」ですが、これは将来どんな仕事につきたいとか、どんな人間になりたいとか、どういう生活を送りたいかというような、少なくとも数年、長ければ十数年の時間がかかる目標です。しかも、いつ達成できるのかはわからないし、もしかしたら達成できないかもしれないものです。いわゆる将来の夢というのがこれに当たるでしょう。

 すぐに気づくことですが、短期→中期→長期と考えるスパンが長くなるほど、目標というのは、どうしても漠然としたもの、抽象的なものになり、そして、目標を達成できる確率は低くなっていくものです。しかも、子供の時間感覚は大人のそれとは全く違います。たとえば、小学生にとっての1年はとてつもなく長いものですから、そんな幼い子に「将来の夢は?」なんて聞いたところで、実は何の意味もないのです。そんな先のことを彼らが実感をもって考えられるわけがないのですから。もしそれができる子供がいて、その目標を達成できるとしたら、その子こそ天才でしょう。

 天才ならいざ知らず、私達のような凡人には、そんなに若いときから「長期的な目標」と言えるほどの具体的な将来の夢など持ちようがないのです。たとえ、目標があったとしても、どうやったらそれを実現できるのかも良くわからない状態であるのが普通です。有名になりたいとか、お金持ちになりたいとか、そういう漠然としたものでしょう。しかし、若いうちの「長期的な目標」はそれで十分なのです。漠然としていていようが、むしろ大きい方がいい。人間というのは目標を掲げて本気になって努力しても、その目標を100%達成するのは難しいものです。100点を目指して頑張って90点取れれば上出来でしょう。ということは、若いうちから小さな目標しか持てない人は、小さい人間になってしまいやすいということなのです。だから、若いうちは目標を大きく持とう、それがあの有名な“Boys, be ambitious.(ボーイズビーアンビシャス)”という言葉の本質だと思います。

 しかし勿論、目標が大きければそれだけで大きな人間になれるわけではありません。問題は、それを実現できる人とできない人とでは何が違うのか、そして、実現するためには具体的にどうすればいいのかということでしょう。それは、一言で言えば「どんな些細なことにも全力で取り組むこと」だと言えるでしょう。「目の前の課題に全力を尽くせ」と言い換えてもいいと思います。この目の前の課題というのが「短期的な目標」なのです。

 長期的な目標は漠然としているかわりに一つですが、短期的な目標というのは無数にあり、そしてその一つ一つが具体的なものです。たとえば、今度のテストで何点を取ろうとか、今日の部活の練習でシュートを何本決めようとか、それこそいくらでもあります。長期的な目標を成し遂げるためには、まずそうした小さな目標を一つ一つ全力でクリアしてゆく努力が必要なのです。まさに『千里の道も一歩から』なのです。

 天才なら、そういう短期的な小さい目標をすっ飛ばして長期的な目標を定め、一直線にそれに向かって突っ走ることができるのでしょうが、普通の人間には、初めからそんな明確な長期目標なんて立てられないし、そこへたどり着くための道もはっきりしないのですから、とりあえず日々無数にある目の前の課題=「短期的な目標」の達成に全力を投入するべきなのです。

 たとえば、何かスポーツを始めたとすると、天才でない限り、初めは自分に才能があるかどうかなんて分かりません。それを確かめる唯一の方法がそれに全力で取り組むことです。自分に本当にできるのかどうかを限界まで試すしか方法はないのです。まずは、身近な人で自分よりレベルが上の人を目標にするところから始める。そして、もし人より上手くやれると分かれば徐々に目標を上げていけばいいのです。そうしていれば、やがて「将来自分はプロとしてやっていけるかもしれない」というような長期的な目標が見えて来るはずです。

 誰でも何かしらの才能はあると思います。もしかしたら、それはすごい才能かもしれません。でも、その才能を引き出すことができるのは、自分の中に眠っている才能を見つけ出した人だけです。たとえば、スポーツで現在の世界記録を破れる潜在能力を持った人というのは、実は、世界中にたくさんいると思います。ただし、その人達が実際に世界新記録を出すためには、まずそのスポーツを始めなければらならないし、始めたら自分の才能に確信が持てるまで努力を重ねなければならないはずです。「目の前の課題に全力を尽くす」ことができない人が果たしてそこまでたどり着けるでしょうか?そもそも、そういう人が自分の才能に気づくでしょうか?

 それがどんなに些細なことであっても、目の前の課題に全力で取り組むことができなければ、自分に何ができるのか、何の才能があるのかということさえ分からないのですから、未知の可能性を秘めた子供達には「何事にも全力を尽くせ」と教えることが、大人として、教育者として、親としての義務だと思います。その意味で、すぐに手を抜く子供に対しては、厳しく接するのが愛情というものだと思うのですが・・・。




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