FC2ブログ
新風館通信
迷走する教育       道しるべでいたい



プロフィール

M.Kaze

Author:M.Kaze
新風館のブログ(ハードタイプ)
北風のブログ



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



努力 その10
10.自分自身を道具を見なすこと
 「努力その9」で「好き嫌い」という感情で自分の向き不向きを判断してはいけないと書きましたが、

では、一体どうやって自分の適性を判断すればよいのでしょうか?「努力その9」でも書いたように、

まずは「どんなことにも全力で取り組むこと」だと思います。

 しかし、それでも自分の人生を捧げる決心をするほどのものにめぐり逢えない場合もあるでしょうし、

得意なことが色々あってどれにするか迷うという幸せな人もいるでしょう。いずれにしても、自分が何を

して生きてゆくのかを決めなければなりません。やってみなければ分からないとは言え、自分の才能

を発揮できることをしたいと考えるのは人情ですから、今回はできるだけ短い時間で自分の適性を見

極める方法を述べたいと思います。

 それは、一言で言えば「自分自身を道具と見なすこと」です。一切の感情を排除して、冷徹に客観的

に自分と言う人間を見つめることです。目に見える肉体的な特徴から知性や道義性といった内面的な

ものまで、他人が自分を見るような冷めた目で自分を観察する必要があると思います。そうやって自

分を一個の道具として見た時、一体どんなことに使うのが良いかと考えてみるのです。

 もちろん簡単なことではありません。人間は、今の自分が正しいと思いたいという欲求・欲目がある

からです。自信過剰な人は言うまでもなく、自分にどうしても自信が持てないという人も、自分を客観

的に見られていないという意味では同じです。たとえば、自分で自分を馬鹿だという人に限って馬鹿に

されるのを極端に嫌がるものです。自分を馬鹿だというのは、本当は馬鹿にされたくないという気持

ちの裏返しだからでしょう。自分は馬鹿だから失敗しても大目に見てほしいというアピールともとれ

ます。

一見謙虚にも見えるそうした言動の裏には、自分が可愛いという気持ち(ナルシシズム)が隠されてい

ることが多く、厳しい見方をするなら「自分は努力をするつもりはありません。でも、そんな私を認めて

下さい」という心理が隠されているとも言えます。そういう人は、自信過剰な人と同じくらい自分を客観

的に見られていないと言えるでしょう。

 同様に、よく自己嫌悪に陥るという人も注意が必要です。自己嫌悪に陥るときの心には、二人の自

分つまり理想の自分と現実の自分がいるはずです。そして、自己嫌悪を感じているときというのは、

理想の自分の方が現実の自分を叱るという形をとります。このとき、現実の自分の方が実は本当の

自分の姿であるはずなのに、自己嫌悪に陥っている当の本人は、理想の自分の方を本当の自分だと

思い込んでいるはずです。理想の自分の方に自分を重ね合わせ、現実の自分の方をまるで犯罪者を

見るような目で見るのです。本当の自分はこんなことをするはずがないと。これでは客観的に自分を

見つめるどころか、本当の自分から目をそらすことになってしまいます。

 中には本当に自分に自信が持てないという人もいるでしょう。しかし、そういう人は、人間は一人一

人が違っているという事実について考えるべきだと思います。一人一人違うということは「自分にしか

できないことが必ずある」ということを意味しているのです。たとえば、ただバットを振るということにし

ても、体格筋力が一人一人違う以上、誰一人として同じ振り方はできないはずです。ただバットを振る

という単純な作業の中にも、実は無限の多様性があるわけです。ただし、その中から自分に適した形

を見出そうと一心に振り続けた(努力を重ねた)人だけが、優れたバッターになるのだと思うのです。

また、同じ野球と言うスポーツをするにしても、同じポジションにしても、そこには無限に多様性が

あり、探し続ければ自分にしかできないことというのは必ず見つかるものです。

 もちろん全員が主役(ヒーロー)になるのは不可能です。主役というのは望んでなれるものでもない

のです。ほとんどの場合、主役というのは本人でなく、周りの人間が決めるものだからです。なのに、

近頃はみなが主役にならないと気が済まないと思っているような気がします。そもそも脇役の存在なく

して主役もないのですが。

 脇役で構わないと思うのです。いつか主役の座に取って代われるかもしれないのですから。諸行無

常、一寸先は闇。何が起こるかは誰にもわかりません。ただし、自分に流れが、チャンスが来た時に、

それを掴めるのは、日の当たらない間も地道に努力を重ねてきた人だけだと思います。そのために

は、驕(おご)らず、かといって卑下もせず、誰にも支持されなくても腐らずに、静かに自分を見つめる

べきだと思います。