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五位の池小学校 オープンスクールで思ったこと
 先日五位の池小学校のオープンスクールに行って来ました。塾生のいる学年とクラスは全部見学し

て来ましたが、感想を一言で言うなら、「学校の先生方はよく頑張っておられる」ということ。

 一見しただけで、授業の仕方にも色々と工夫を凝らしているのがよく分かりました。しかし、そうした

先生方の頑張りとは反比例するように、「生徒達の学習能力が下がっている」ということも確かです。

 学習能力というのは、学力そのものの話ではなく、そもそも学習に取り組むこと自体ができないとい

うこと。先生が話している間、そんなに長いセンテンスをしゃべっているわけではないのに、話の内容

に意識を集中していられない生徒が非常に多く、当然、話の内容を理解している生徒は非常に少ない

と思われました。

 体育の授業はさらに惨憺たる有様でした。あるクラスが50m走のタイムを計測していたのですが、

走る順番を待っている生徒も走り終わった生徒も整列するどころか、でんで好き勝手なことをやってい

て(バスケットをしている生徒もいれば、走り回っている生徒もいるという具合です)、全く秩序がないの

に驚きました。

 こういう状態は、学校に入る前に家庭でしておくべき教育をなおざりにした結果ではないかと思いま

す。「人の話をきちんと聞く」とか「人に迷惑がかからないように行動する」ということは、小学校入学前

にきちんと家庭で躾ておくべきことではないかと思うのです。聞くところによると、学校に躾を頼む親御

さんが増えているということですが、それはどだい無理な話です。

 心理学的に言うと、子供というのは、彼らが幼児の頃にしていた言動の中で親が認めたもの(許した

もの)が核となって人格ができ、それを中心にして成長していくそうですから、「三つ子の魂百まで」と

言うように、小学校(もしかすると幼稚園)に入る前に、既に人生の方向性はある程度まで決まってしま

っているのです。ですから、小学校に入ってから躾ようとしても、それでは手遅れなのかもしれませ

ん。

 また、そもそも家庭ですべきことを、それがたとえ教師であっても、他人に任せようということ自体が

お門違いというものでしょう。人間の生活は「公」と「私」のいずれかの領域に分けられます。そして、

家庭というのは、そのうちの「私」の領域であり、安心してリラックスできる「私」的な場所です。しか

し、一歩外へ出たら、そこは社会(世間)という「公」の領域であって、そこでは、家庭でするような言動

はできなくて当然です。家庭は安心してリラックスできる場所であるということ自体が、家庭の外はそ

ういう世界ではないということを意味しているのです。人間は、「公」と「私」のどちらかの領域だけで生

きて行くことはできない生き物です。家庭という「私」の領域からしか人生をスタートできない以上、初

めて踏み出す「公」の世界に向けて子供に準備をさせるのは、家庭にしかできない役割です。これは

親にしか果たせない義務であり、親にしか負えない責任なのです。

 聞くところによると、「公私」の峻別ができない子供の親、つまり、義務と責任をきちんと果たしていな

い親御さんほど、オープンスクール等に参加しないそうです。おそらく親としての義務と責任など理解

していないでしょうから、当然と言えば当然の話です。まず、そういう親御さんには家庭の義務と責任

についてきちんと説明するべきだと思います。

 きちんと説明をしても親が理解できない場合、教師はその子供に対して力の行使も辞さないという

強い態度で望むべきです。なぜなら、そういう子供が二・三人も居れば、授業をぶち壊しにするのは簡

単で、それを放置すれば他の多くの子供たちの学ぶ権利が損なわれるからです。この国では、いつ

から子供を殴ってはいけないということになってしまったのか分かりませんが、言葉で言って分からな

い子供に対して、それが「してはいけない」ことだと教えるためには必要な場合もあると思います。そ

の子の将来を思ってのことですし、怒りに任せて殴るのでなければ暴力でもありません。それだって

立派な教育だと思うのですが。

 さもなければ、1クラスの人数をもっと減らして、学習能力(学力ではなく)によってクラス分けをする

べきです。現時点でもう授業自体がほとんど成立していないのですから。また、公立の小・中学校に

も留年や退学を復活させるべきでしょう(ちなみに日本以外の多くの国では昔も現在もあります)。

 ちょっと過激に聞こえるかもしれませんが、実現不可能なことではないと思います。理想論ばかり振

りかざして綺麗事を言っていたのでは問題は解決しません。今の公教育の惨状が何よりも雄弁にそ

れを物語っているとは思うのは私だけでしょうか。
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