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できる子できない子7
「できる子できない子」のパート7です。
テーマは「活字情報をいかに正確に解釈できるか」ということについてです。
これは同時子供達の学力の低下についての検証にもなっていると思います。
では、実際に中学生の授業で使用した国語の問題を例にとって話を進めたいと思います。

では、第1問です。まずは本文から。

 釣堀から持って帰った金魚は、子供の勉強部屋に住みついた。
 出窓に置いたまるい硝子(がらす)の鉢の中で、元気よく泳いでいる。
「こんな丈夫な金魚はいないわ。」
 細君はよくそう言う。水を取り替えてやったり、パンを小さくちぎって与えたり、
時々塩を入れてやったりするのが彼女の役目になっているのだ。
 父親と子供たちがこの小さな金魚をブリキのバケツに浮かばせて帰って来た時、
彼女はいいかたちをしている金魚だと言った。そう言われてみると、小さいことは小さいが、
すっとしたいいかたちをしている。
 顔のあたりとおなかと鰭(ひれ)のところどころがうっすら赤く、赤いといってもそれはまだ
ほとんど気配のようなものであった。
「①よそ見している時にかかった金魚だ。大事に飼ってやらなくては。
 父親はこの時、そう言ったのである。
 この部屋には学校へ行っている二人の勉強机と本棚の中にミシンがあるし、細君の洋服箪笥が
ある。積み木や輪投げの台、野球のグラブなどが入ったバスケットの箱がある。

〈以下省略〉

 問題を解く前には必ず本文を音読させます。それからまず最初に生徒達に「この文が
小説(作り話)かそれとも随筆(実体験を書いたもの)のどちらだと思うか」と尋ねることに
しています。年々即答できる生徒が減り、近年では、ほぼ全ての生徒が悩むようになりました。
そして正解を言う生徒の数も減る一方です。

 正解は小説です。

 最初の方、「細君はよくそう言う。水を・・・」というところなどは、父親の視点から描かれている
ように思えます。しかし、父親=作者かなと思って読み進めると、次の文の「父親と子供たちが・・・」
のところでちょっと変だなという違和感を覚え、「父親はこの時、そう言ったのである」のところ
まで来れば父親の視点から書かれているのではないことが分かります。では、子供のうちの誰かが
作者で過去の回想をしているのかなと思いきや、最後の「この部屋には学校へ行っている二人の勉強机
と本棚の中にミシンがあるし、細君の洋服箪笥がある」ということろで、家族の誰の視点からでもない、
第三者の視点から描かれているということがはっきりします。ということで、これは創作つまり小説だ
と分かるのです。

 本問に入ります。

問 下線部①「よそ見している時にかかった金魚だ。大事に飼わなくては。」とありますが、
なぜ「よそ 見している時にかかった金魚」は大事に飼わなくてはならないのですか。
「~と思えたから。」という形で25字以内(句読点も字数に数えます)で答えなさい。

 正解は、「自分に飼ってもらいたがっているように思えたから。」です。(同意可)

 この問題になると、今の子供たちはほぼ全員が答えを書けません。中でも一番多いのは
「何を書けばいいのかわからない」という生徒です。たしかに、小説の難しい(?)ところ、
つまり、論説と違って「直接は書かれていないが文脈から当然理解すべきこと」というのが
あります。しかし、これも言語能力のうち非常に重要な能力の一つなのです。
とりわけ日本語においては。「言わずもがな」というやつですね。

 でも分からないものは仕方ありませんから、「よそ見している間にかかった金魚」というのは、
言い換えれば「金魚が自ら進んで釣られた」ということで、もしそのとき金魚がしゃべれたら、
どんなセリフを言うだろうかと尋ねることにしています。ここまで言えば分かってほしいのですが、
ここでも珍答続出です。では、今年の珍答を。

「ここから出してくれ」
「腹減った」 

 小学校低学年までの生徒なら想像力豊かだとか何とか言えるかもしれませんが、中学生が
これでは困りものです。どちらも、本文のそこまで書かれていることを完全に無視しているから
です。それまでの内容がまったく情報として頭に入っていません。限られた情報から(この場合は
必要十分な情報だと思いますが)正しい推論をするという能力は、コミュニケーションにおいても
非常に重要です。何事も一から十まで詳細に説明することはまずありませんし、やろうとしても
それができる人は限られるでしょう。それでも何とか世の中が回って行くのは、こうした推論能力
を個々人が持っているということに依るのです。

 勿論、その推論が間違っていた場合には、誤解が生じ、それがもとで感情のもつれが生じたり
もするでしょう。そういう場合には冷静になって推論を修正すればよいだけの話です。
ここで最初の推論を組立てるときに行った自分の解釈に固執すると、誤解はとけず、ますます
関係はこじれることになりますから、実は日々の無数のコミュニケーションの中でも思考の柔軟性が
求められているのです。

 ところが、今の子供達は、推論能力だけでなく、この柔軟性が著しく落ちています。
この問題で言えば、この後「飼う」という言葉を使うようにとヒントを出したのですが、
そこでみな完全にフリーズしてしまいました。自分の最初の推論と相容れない情報は思考に
組み込むことができないのですね。

この手が駄目ならそれ、それが駄目ならあれ、という具合に柔軟に解決策を見出していく姿勢は、
この情報化社会においては不可欠な能力ですし、この能力を発揮するのに若さほど武器になるもの
はないと思うのですが。

 つづく