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夏期講習の総括?
今回は、夏期講習の総括をかねた国語と英語の話です。

7月中旬に行った面談でも御説明したように、今年の夏期講習はこれまでで最長時間を確保し、小
・中学生の国語にはとりわけ力を注ぎました。というのも、ここ数年の深刻な学力低下は言葉の
力の低下と密接な関係があると常々考えているからです。実際、子供たちに段々日本語が通じな
くなっているという恐ろしい現実があります。

その一方で、多くの親御さんたちの間で英語教育に対する意識が高まっています。わが子に英語
にもある名前をつけたり、幼児期から英会話教室に通わせたりする方も増え、公立小学校でも英
語教育がスタートしました。しかし、不思議なことに、母国語である肝心の日本語の教育、国語
教育のあり方について論じられることはほとんどありません。

私にはこれがとても気持ち悪いのです。これでは「日本語はできなくても英語ができればいい」
ということなのかと言いたくなります。我々は日本人ですから、まず第一に母国語である日本語
を大切にするべきです。そして、日本の多くの方が勘違いなさっているなと常々思うのは、日本
で生まれ日本で育てば自然に正しい日本語が身につくものと錯覚している節があることです。

注意して頂きたいのは、ここで言う「正しい日本語」というのは、「相手の言いたいことがだい
たいわかって、一応自分の言いたいことが相手に通じればいい」というレベルの話ではないとい
うことです。それでは外国から来た旅行者が話す片言の日本語でも充分「正しい日本語」だとい
うことになってしまいます。

「正しい日本語」ができる状態というのは、敬語のような日本語特有の性質を含め、日本語とい
う言語の構造と体系全体を理解したうえで、それを駆使して自分の考えを述べたり、相手の考え
を理解したり、自分自身のあるいは相手の考えを修正したりできることです。そして、これこそ
が本当のコミュニケーションでしょう。

日本語できちんとコミュニケーションをとれない人が、英語でできるようになるとは到底思えま
せんが、日本語の前提とも言える「あうんの呼吸」とか「言わずもがな」とか「以心伝心」など
という感覚自体がまったくない英語圏では、上記のような本当の意味でのコミュニケーションは
まさに必須です。それこそ日本人同士なら「ウザい」と感じるほど、しつこく確認や理解を求め
ますし、とにかく自己主張が強烈です。間違っていようがどうだろうが、とにかく押しが強い。
ただ、間違っていることをきちんと説明して納得させれば、すぐに考えを改めてくれますし、何
の後腐れもありません。

この点、ネガティブなことは言わないという文化がある日本人は困りもので、自分の意見を否定
されると全人格を否定されたように受け取るところがあり、どんなに危急のことでも言うに言え
ないことが多い。ネガティブなことを自己検閲して言わずに済ませてしまう体質が、原発事故の
会見や報道などでも見られる歯切れの悪さの大きな原因だと私は思うのです。果たしてあれを非
難する資格が果たして自分にあるのかどうか、多くの人はもう少し考えてみるべきではないかと
思います。果たして自分は自分のネガティブな点を冷徹に指摘されても冷静に建設的な議論がで
きるだろうか、と。

英語を使いこなすためには、こうした文化的な障壁があるのです。多くの日本人が、英語ができ
るようにならない本当の原因は、このせいではないかと個人的には考えていますが、それより何
より深刻なのは、多くの日本人が自分達がそういう文化的な呪縛に囚われているということに無
自覚だということでしょう。

私は、日本語という言語は大変に素晴らしく、正しく使うことができれば、どの言語にも負けな
いのではないかと思っています。しかし、当の日本人がそれを自覚して使っていませんし、大切
にしてもいないように思います。多くの人は、日常生活で不自由していないから、自分の日本語
は正しいと思っているのではないかと思います。そこに落とし穴があるのです。

日常生活というのは必要最低限のレベルの日本語で事足りるものです。それこそ「あうんの呼吸
」ですむことが多く、言葉自体をあまり必要としないかもしれません。家庭の中となれば尚更そ
の傾向が強いことでしょう。しかし、母国語の基礎を作るのは家庭教育ですから、本来、家庭の
中でこそ言葉を大切にしなくてはなりません。身近な者だからこそ実は言葉によるコミュニケー
ションを密に図っておくべきであって、でないと、身近な者だけにかえって誤解を生じやすく、
遺恨を残すことにもなりやすいものです。

こんなことを言うと、近しい相手には「言わなくたって分かって欲しい」という気持ちになる人
も多いことでしょう。私も日本人ですから、そういう気持ちを否定するつもりはありませんが、
それが日本人特有の「甘え」であることは自覚しておくべきだと思います(「甘え」という言葉は
英語にできません)。そして、「言わなくても」というのは「言おうと思えば言える」ということ
であるはずです。ところが、今の子供たちの多くは「言おうと思っても言えない」のです。

それもそのはず、ちょっと信じられないかもしれませんが、近年では中3になっても主語・述語
をきちんと理解していない生徒の方が多いのです。今年の夏期講習で小・中の複数学年で使用した
問題を例にとりますと、主語の含まれている文とそうでない文を判別しろという問題の中に「雨
さえ降ってきた。」という文があったのですが、これの「雨さえ」が主語だということに気づい
たのは小5~中3の全員のうちほんの数名だけでした。

ほとんどの子供が、主語を聞かれると、機械的に「は」や「が」のつくところを探しているだけ
で、主語とは一体何なのかということを実は全然理解していないのです。英語では必ず(命令文を
除いて)主語を書かなくては(言わなくては)いけないので、主語とは何かが分かっていない人が英
語を使えるようになるとはとても思えませんし、英語以前に日本語の文章だってきちんと理解で
きるはずがありません。

今年の夏期講習は塾生達を何とかこの状態から脱却させようと悪戦苦闘しました。これはすぐに
テスト結果や成績に反映されることではありませんが、致命的に重要な問題です。果たして何名
の塾生が何名の親御さんがそれに気づいてくれるのでしょうか。