FC2ブログ
新風館通信
迷走する教育       道しるべでいたい



プロフィール

M.Kaze

Author:M.Kaze
新風館のブログ(ハードタイプ)
北風のブログ



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



ピンチはチャンスなのに・・・
人は窮地に立たされると、その本質が現れるものです。
逃げ出すのか?玉砕覚悟で突っ込むか?身がすくんでそこから動けなくなるか?
その人の性質(たち)によって、きっと窮地において無意識に採る行動は異なるでしょう。

いずれの行動を採るにせよ、実はその窮地を招いたのは自分自身であることが多いものです。
しかし、多くの人はこの厳然たる事実から目を背けてしまいます。

勿論、自らの力が及ばない窮地はあります。天災はその最たるものです。
しかし、人が陥る窮地のほとんどは、自分がそれまでに採って来た行動・言動によって
招き寄せたものであり、いわば必然です。

しかし、多くの人はそれを「運が悪かった」と言い、偶然として片付けようとします。
その態度は、現実に対して「自分には何も責任がない」と言っているに等しいことに気がつきません。
何よりも、それが「自己変革を行って成長する」せっかくの機会を逸していることになるということを
理解していないと思います。

ピンチは実はチャンスなんです。乗り切ればやがて必ずチャンスが来る。
言い換えれば、チャンスはピンチを乗り切った者にしか訪れないものだとも言えます。
ですから、窮地は何とかして乗り切らなくてはならない。

しかし、窮地を乗り切るというのは、自暴自棄になって闇雲に突き進むことでもなければ、
ただじっと状況が変わることを祈って時が過ぎるのを待つことでもありません。

もとより自ら招いた窮地から逃げ出すなんて論外ですし、あまりにも無責任です。
なぜその窮地を招いたかを省察し、自らの問題と向き合って、
改めるべき点を改める機会にしなくてはなりません。

「窮地を機会に反省し、自己を改善する」それが成長するってことです。
いつからこの国ではこんな当たり前のことが常識でなくなったんでしょう?
そんなふうに感じることが最近とくに多いです。

窮地を乗り切るためには「我慢」「辛抱」が絶対に必要です。
自分がしたいことや自分のやり方をあきらめたり、辛いことを抱えるしんどさに耐えなくては
なりません。ですから、成長には必ずと言っていいほど痛みが伴うものなのです。

とりわけ若いときには、この痛みを伴った成長が欠かせないものです。
子供から大人になるにあたっては、自分の人格のうち、甘い子供の部分を変えなくてはならない
からです。成長期には体に成長痛があるのと同様に、心にも成長痛があるのです。
これが思春期というものです。

そして、この痛みに耐えている子供を励まし、支えてやるのが、親たる者の務めでしょう。
間違っても、軽い気持ちで「そんなに辛いならやめればいいじゃない」なんて言葉をかけては
いけません。

それは「悪魔の囁き」です。
そういう言葉は頑張ろうとする子供の心をいとも簡単に折ってしまいます。
それは取りも直さず、子供から成長する機会を奪う行為であり、ひいては子供の未来を奪うことにも
なります。

そもそも、何かを「我慢」したり「辛抱」したりすることなしに手に入るものなんてたかが知れています。
多くの人が本当は手にしたいと思っているものというのは、それが社会的な成功であれ、地位であれ、
富であれ「我慢」や「辛抱」なしには手に入らないものだと思います。

ですから、「我慢」や「辛抱」をさせないのも、また、子供が欲しがるものを全て与えるのも
正しい教育とは言えません。与えられるものを全て与えてやるのも間違いです。

それは、はっきり言って親の自己満足に過ぎません。
何より大切なのは、子供が何かを手に入れるために辛抱しているとき、あるいは、
成長のために耐えているとき、その辛さや痛みに一緒になって耐えるてやることでしょう。

先の「そんなに辛いならやめればいいじゃない」という言葉を安易に口にしてしまう親というのは、
そういう成長の痛みに耐えている我が子の姿を見ていられないのだと思います。
それを「可愛そうだから」と言うのは簡単です。
主観的には、それで子供を守ってやっているつもりかもしれませんが、
それは、実のところ、自分が子供を通じて感じる痛みを抱えていたくないから、
自分自身がそれを我慢できないから、というだけではないかと思います。

子供を叱れない(叱るのと怒るのとは違います)親が増えているそうですが、
これも同じ構造だと思います。
叱るというのは気分が悪いものです。子供を叱った親の側も痛みを覚えます。
きっとそれが嫌だから叱れないのでしょう。

こうして今、成長もせず、叱られもせず、中味は子供のままでただ法的には大人の年齢に
達してしまった若者、そういう社会に適応できないでいる若者が巷には溢れています。
成長の痛みに耐えることなんかよりも、社会に適応できずにただくすぶっている状態の方が、
よほど「可愛そうだ」と思うのは我々だけでしょうか?