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卒業生の結婚式 その3
5月22日(日)卒業生の結婚式に行って参りました。

人望の厚い男ですので、列席者が多すぎて、
チャペル内では全員がとても座れないほどでした。
わが教え子ながら本当に大したものです。

式後の披露宴では、
列席者がみんな心からの祝福を彼と新婦に捧げていて、
本当に心温まる結婚式だったと思います。

そんな中で列席者を代表してスピーチをさせて頂く
という栄誉に預かった私は、本当に幸せ者です。

列席者の多さから、久しぶりに緊張しましたが、
皆さまの温かい雰囲気に助けられ、
堅苦しい話ではなく、心からのお祝いの言葉を
述べさせて頂くことができました。

スピーチの中でも言ったのですが、
彼は勉強が得意な方ではありませんでしたし、
スポーツ万能というわけでもありませんでしたが、
そんな通り一遍の評価基準などものともしないような能力、
天賦の才に恵まれた男でした。

彼の当意即妙なセリフ、絶妙な間、屈託のない笑顔は、
場を和ませ、皆を笑顔にし、前向きな気持ちにしてくれます。
場の空気を掌握するということについては、
彼以上の力をもった人間を私は他に知りません。
そんな彼を嫌う人間はまずいないでしょう。

世の中では「脱ゆとり教育」が叫ばれ、学歴志向は高まるばかりですが、
たとえ高い学歴を手に入れたところで、社会に出てしまえば、
ものを言うのは、
学歴なんかじゃなくて、彼が持っているような「人間力」です。

彼のすごさを言葉で理解してもらうのはとても難しいので、
スピーチでは彼をトランプのジョーカーにたとえました。

トランプは中世絶対王政期のヨーロッパを図案化したもので、
ジョーカーというのは、絶対的な権力を持つ王の暴走を防ぐために、
その国の一番の賢者がピエロの恰好をして、四六時中王様の傍につき、
王のやることなすことにダメ出しをするという役職です。
世俗のどの階級にも属さず、何を言っても罪に問われない最強の役職、
それがジョーカーです。

今の世の中で言えば、
キングは社長、エースは腹心の部下、懐刀というところでしょうか。
キングやエースがトランプに複数枚あるのと同様、
キングやエースになれる人材というのは、世の中に結構いるものです。
しかし、ジョーカーになれる者となると、そうはいない。

スピーチの後、披露宴会場の外で、
彼の元の勤め先の上司の方からお声をかけて頂いたのですが、
彼が退職してしまったことを本当に残念がっておられました。
「とにかくよく気が付く男だから、会社にとって大変な損失だ」と。
しかし、何にも縛られないからこそのジョーカーです。
私のたとえにも共感して下さいました。
退職した職場の上司にも変わらぬ好感を寄せられる、
そんな彼の人間力には脱帽するしかありません。

迷走を続けるこの国の教育は、ジョーカーどころか、
キングやエースの育成にも成功しているとは言えません。
高学歴だが低学力、そして、彼のような「人間力」もないとなると、
そんな人間に果たして使い道があるんでしょうか?

もう長い間、有効求人倍率は1倍を越えていて、
就職しようと思えば就職口はあるのに、
雇用のミスマッチのせいで、
就職できない(しない)若者が溢れているという現実があります。

なまじっか大学を出たがゆえに、
そのプライドから自分で就職先の選択肢を狭めてしまっている、
そんな若者が多いのではないかと思います。

彼の場合、結局大学へは行きませんでしたが、
高校3年生まで新風館に通い続け、
本当の意味での学びを実践してくれました。
彼は学歴こそ高くありませんが、学ぶ力は疑問の余地なく高いです。
ですから、在籍当時も現在も、彼なら何処でも生きてゆけると
我々は自信を持って言うことができます。

残念ながら、彼の卒業後、彼のような生徒にはついぞ出会っておりません。
生物の学習行為とは、本来、自分の置かれた環境に上手く適応し、
自分の生存率を高めるためのものであるはずです。
この点は、人間も例外ではありません。
現代社会を深く理解し、自分が生きていくための術を習得する。
そのために学ばなくてはならないはずです。

日本人は「ただ学歴を手に入れるためにするのが勉強」という固定観念を
そろそろ捨て去るべき時期ではないでしょうか。
先進国では生涯教育が常識になりつつある中で、
学歴のためだけに勉強する国が没落していくのは自明の理でしょう。

本来、日本は世界に冠たる「学び上手」の国だったはずです。
この伝統が敗戦後、世界から奇跡と称賛された復興と発展を支えた
ということに疑問の余地はありません。

我々は「学ぶ」ということの本来の意味に立ち返らなくてはならない。
彼を見ていると、痛切にそう思います。


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