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~忘却~「水に流す」という風土の問題点
我々日本人は伝統的に「波風を立てない」こと「水に流す」ことで
人間関係がギスギスすることを避けています。
これは、狭い島国で顔を突き合わせて暮らさなくてはならなかった日本民族が
長い年月をかけて編み出した知恵だと思います。

これは、内輪の人間関係を破綻させずに維持していくのにはたいへん有効な方法ですが、
差し迫った問題を抱えて相談に来た外部の人間やビジネス・外交の交渉相手からすると
たいへんイライラさせられる、日本人特有の欠点とも言えます。

「波風を立てない」ようにする応対は、イエスかノーかもよく分からない場合が多いうえに、
お互い「水に流す」ことを前提とした対応は、どうしても緊張感を欠いたものになりがちで、
切羽詰まった相談相手や交渉相手からすれば、問題を解決するつもりがないように見えるからです。

そして、この二つは、日本人の「問題を先送りにする」体質とも深い繋がりがあります。

日本人というのは、集団の内部で大半の人間が現状に大きな不満を感じていなければ、
たとえ、組織的にいつかは大問題を引き起こしかねない弱点や欠点を抱えていると知りつつも、
それが顕在化するまでは、何の対策も立てないし、対処しなければという危機感も覚えません。
たとえその問題に気づいた人間がその問題が顕在化する前に対処しようとしても、
組織に属する大半の人間は、現状に不満がないがゆえに、積極的に動こうとはしないことでしょう。

したがって、多くの場合、
外的な要因(自然災害)や外的な環境の変化(経済情勢の急激な悪化)によって
あるシステムや製品が持つ弱点や欠点が白日の下にさらされることになるまで、
問題は放置され続ける。

たまたま、このブログを書き始めた直後から、神戸製鋼の不正問題が連日報道されているのですが、
同社の場合は自社の内部調査で判明したという点ではまだ救いがあると言えるものの、
新聞報道によれば、複数の元社員の方が三十年あるいは四十年前から不正があったと
証言しているようです。
報道では触れませんが、その人は不正を長年承知していながら、
何もしなかったということになります。なぜでしょう?

おそらく、
一つは、自分だけが正しいことをしようとすれば職場で浮いてしまうかもしれないという恐怖。
「波風を立てない」ことを是とする日本人の集団では、たとえそれが正しいことであっても、
平穏な日常業務に「波風を立てる」ような行為をすれば、その人の方が悪者になってしまうからです。
下手をすると、正しいことを言ったがゆえに、会社にいられなくなる可能性すらあります。
もう一つは、自分だけが正しいことをしようと頑張ったところで、
どうせ何も変わらないだろうという諦め、でしょう。

しかも、先の証言は「元」社員の話です。
たとえ会社を辞めた(その集団を離れた)後でも、日本人である限り、
「波風を立てない」「水に流す」という道徳律には拘束され続けるという証拠でしょう。
もし退社後にそのことを暴露していたら、その人はきっと転職先でも冷遇され、
社会的に行き場をなくしたのではないかと思います。
きっと、たとえ自分が正しいことをしたところでどうせ何も変わらないのだから、という諦念でもって、
自らの良心を慰めていたのではないかと想像します。
おそらく、この諦めの気持ちこそ、日本社会に長らく蔓延・停滞している閉塞感の正体でしょう。

ネットの書き込みに見られるように、
不正を行った企業や政治家を第三者の立場から批判(口撃)するのは容易い。
しかし、日本人である限り、おそらく大半の人間がその人と同じ立場であれば、
同じことをする可能性が高い、ということを我々は忘れてはいけないと思います。
(先の元社員の方も黙って不正に手を貸していたのではないでしょうか)

そして、もし問題が顕在化したとき、
たまたま自分が矢面に立たなくてはならない責任ある立場だったとしたら、どうでしょう?

非常に残念なことですが、多くの日本人は、問題を先送りしたことを悔いて反省するよりも、
ただ「運が悪かった」と思う気持ちの方が強いのではないでしょうか。
問題の本質にメスを入れて、痛みを伴う体質改善を図るよりも、
人(社会)がその問題を「忘れてくれる=水に流す」までじっと息を潜めて堪えることを選ぶでしょう。
だから一度不正に手を染めてしまった日本人の集団は、何度でも不正を繰り返すのです。

このように、日本人というのは、
ある意味とても無責任な体質を持った、非常に忘れっぽい民族であるということを、
我々はきちんと自覚し、肝に銘じておかなくてはならないと思います。
他人の非をあげつらって感情的な口撃を加える暇があったら、
自分は果たしてどうなのか、同じ立場なら同じ不正をしないでいられるか、
胸に手を当てて、よくよく考えてみるべきでしょう。

こうした体質に無自覚な日本人が多いために、、
不正や不祥事が発覚すると、いっときの感情にまかせて一方的になじる人がいるのでしょう。
しかも、その感情が収まってしまえば、あるいは、別の新しい情報が入って来れば、
自分が感情をぶちまけた問題そのものをすっかり忘れてしまう。

なじられる側はなじられる側で、それを重々承知しているから、
反省して問題の根本的解決を図るなんてのは二の次で、
とりあえず平身低頭、相手の怒りが収まるまで黙って堪えることを第一に考える。

まさに「喉元過ぎれば熱さを忘れる」というやつで、
これでは、肝心の問題は手つかずのままになって、そのうちまた同じことが起きるに決まっています。

このように、
日本人の「波風を立てない」「水に流す」という人間関係を破綻させないための知恵は、
裏を返せば、社会や企業の改善と発展、個人の進歩と向上を妨げる悪癖とも言えるのです。

だから、この国では、
本来ならすぐにでも解決されなければならないような切迫した問題(たとえば拉致被害者の問題)が
長きに渡って放置されるということが起きる。

個人レベルで言えば、
一つ一つの問題についてよく考えてもみることもなく、すぐに忘れてしまうため、
学んだ知識の集積もなく、それに基づいて自分なりの考え(思想)を持つこともない。
いわば穴のあいた器のようなもので、いつまでたっても自分という存在の中身は何もないままです。
何か事が起きても、自分の中に判断する材料がないので、
周りの人間の顔色をうかがいつつ、自らの気配を消す。
そうして大勢が決まったころに優勢な側につく。

直視するのは辛いかもしれませんが、これが日本人の姿なのです。
今に始まった話ではなく、おそらく、歴史的にずっとそうなのだと思います。
しかし、これでは、現在この国が教育目標として掲げる、
主体性や自律性を持った人材の育成などできるはずがありません。
もちろん、英語を話すのも無理でしょう。
(英語圏の文化は、主体性・自律性のある個人であることを大前提とするからです)

もし「主体性と自律性なんかいらない(英語なんか話したくない)」というのが
大半の日本人の本音であったとしても、
この国の法制度は、国民が主体性と自律性を持った人間であることを前提にしています。
基本的人権も、個人の権利も、主体性と自律性を持った人間であることを前提としたもので、
国民一人一人に自らの発言と行為に責任を持つことが求められます。
自らの言動もすぐに忘れてしまうような無責任な状態では、
本来なら自分の権利を主張する資格はないのです。

しかし一般的には、何でもすぐに忘れてしまうのが「ふつう」の人間だということになっていて、
自分なりの考えや意見を述べる主体性・自律性を持った人間は、異端者のような扱いを受けます。
「出る杭は打たれる」というやつで、これも昔からそうなのでしょうが、
とりわけ今の若い世代・子供達の世代では「ふつう」のレベルがどんどん下がっているのが気がかりです。
「忘れる」「覚えない」度合いが底なしに進行していると言ってもいいでしょう。
今や、若者・子供達の「ふつう」感覚では、
「覚えている方がおかしい」「知っている方がおかしい」「考える方がおかしい」ということになる。

にもかかわらず、この国の人間は学校の成績向上や高学歴の取得には随分と熱心です。
若者や子供の「ふつう」感覚を容認しておきながら、成績向上や高学歴を要求するなんてのは、
まさに「木に縁りて魚を求む」というやつで、あり得ない話なのですが。

ちょっと考えてみれば分かると思いますが、
「忘れるのがふつう」「知らないのがふつう」で、頭が良い人間なんているはずがありません。
「忘れるのがふつう」「知らないのがふつう」で、高学歴を望むなんてのは、あまりに虫が良すぎます。

成績向上や高学歴を望みながら、「ふつう」でいいと思っている状態なんて、
一体何をどうしたいのか、はっきり言って、わけがわかりません。
そもそも「頭がいい」というのは「ふつうではない」状態でしょう。
頭が良くなりたければ、「知っている」「覚えている」が当然の状態でないといけない。

学習とは積み重ねが基本ですので、何も記憶に残らないのでは積み重ねようがありません。
今年の中1の英語を例に取ると、I my me mine you your you yours … の人称代名詞を
半年以上かけて繰り返し練習させて来ましたが、ほとんどの子供がまだ完全に覚えていないのです。
それでは英語ができるようになるはずがありませんし、(話すなんて夢のまた夢です)
学校の試験で点を取れるようにしてくれと言われても、…です。

では一体どうすればいいのか?
「忘れるのがふつう」と思うのをやめて「覚えるのが当然」と感じるようになること、
つまり、マインドチェンジが必要なのです。これは子供に限りません。
今、日本人で自分の未来を明るいものにしたいと思っている人にとって、
このマインドチェンジは避けて通れないように思います。

まず、自分が出来ないことを誰か(あるいは何か)のせいにするのではなくて、
「忘れてしまう自分が悪い」「覚えていない自分が悪い」と考えなくてはいけません。
そう考えて初めて「大切なことはちゃんと覚えておかないと」という正しいマインドが身につく。
しかし「自分に甘い人」にとってはかなり難しいことでしょう。

私は、ご家庭で教えるべき最も大切なことが、この正しいマインドだと考えています。
本来なら勉強をご家庭で教える必要などないのです。
実際、ご家庭で勉強を教えている子供でできる子というのを我々は見たことがありません。
逆に、このマインドが身についているのにできない子というのも見たことがありません。

この意味で「勉強は自分でするもの」なのです。これは普遍の真理でしょう。
たとえ、どんなに良い先生がついても、正しいマインドなしでは決して出来るようにはなりません。
オリンピックで金メダルを獲ったスイマーが教えても、
全く泳ぐ気のない人を泳がせることは出来ないのです。

「大切なことはちゃんと覚えておかないと」という正しいマインドであれば、
できないことがあっても、「覚えていない自分が悪い」→「自分でちゃんと覚えないと」となって、
自分でやるようになるし、ほとんどのことは自分でできるようになります。
やがて「覚えるのが当然」になれば「できるのが当然」になるでしょう。

よく「うちの子は、勉強のやり方が分からないみたいなので、教えてやって下さい」と言う方が
いらっしゃるのですが、問題はやり方ではないのです。

というのも、「大切なことはちゃんと覚えておかないと」というマインドなしでは、
いくら教科書を読んだり、問題集を解いたりしたところで、
分からないこと、出来ないことがあっても、放置するからです。
できなかった問題も、正解を見て「ああ、そうなのか」で終わりでしょう。
そういう子は、必ずまた同じ間違いをしますし、何度でも同じ間違いを繰り返します。
正しいマインドであれば、失敗をした自分を責めるはずです。だから決して同じ間違いはしない。

勉強ができるようになるためには、やり方の上手下手ではなくて、
まずは勉強を自分の問題として受け止め、
分からないこと・知らないこと・出来ないことを一つずつ解決し、
それを「ちゃんと覚えておこう」という正しいマインドを持って、
自分なりのやり方でいいから取り組んでみることが必要なのです。
「勉強のやり方」が問題になるのは、その後の話です。

「勉強のやり方」を教えて効果があるのは、
自分なりに試行錯誤を重ねながら勉強して、ある程度出来るようになってから、
あるレベルから上に行けなくなって行き詰ったときです。
そのタイミングで「勉強のやり方」を教えると、
自分の試行錯誤を振り返ってどこが問題だったかを理解することができ、
すぐに自分のやり方を修正して、正しいやり方を身につけることができます。
正しいやり方なんていうのは、正しいマインドがあればすぐに身につくものなのです。

しかし、自分なりの試行錯誤をしたことのない子には、
一から手取り足取り勉強のやり方を指示したところで、
そのやり方が良いのかどうか判断する基準もありませんから、
どのみち言われた通りにはやりませんし、言われた通りにできやしないものです。

ですから我々は、
まず自分なりの試行錯誤をさせるために「好きなときに勉強しに来ていい」と言っているのです。
そして、塾生たちには「是非よい質問をして下さい」と何度も言っています。
勉強を自分の問題として受け止め、「理解しよう」「覚えよう」正しいマインドでいるならば、
必ず自力では解決できない疑問が出て来るはずだからです。

質問の内容によって、我々にはその塾生がどのくらいのレベルにあるのかが正確に分かります。
格好だけ勉強している子というのは、全く質問をしません。
すべて「ああ、そうか」で済ませてしまうからです。

自分の失敗を「ああ、そうか」で忘れてしまう子は、ほとんど無意識のうちに
そういう失敗を周囲の人間が「水に流す」ことを期待して生きています。
「大したことじゃないから忘れてよ」(問題で間違えても死にやしないし)
「そんなことで波風立てなくったって」(この程度の失敗をとやかく言われたくない)
彼らのマインドを代弁すればだいたいこんなところでしょうか。

もちろん、学校の成績なり試験のスコアというのは、記録にしっかり残され、
自分の将来に跳ね返って来るブーメランなのですが、正しいマインドでない彼らには、
自分が痛い思いをするその瞬間までそれに気づかないし、もしかすると、痛い思いをしたときも
「運が悪かった(もっと頭が良い人間に生まれたかった)」と思うだけで、
勉強しなかった自分が悪いと反省することもないのかもしれません。
そして一生、同じ失敗を繰り返し続ける。

今この国の若者や子供たちの多くは、こういう悪循環にハマってしまっているのだと思います。
しかし、今この国で、一体どのくらいの大人に、そういう子供たちの状態を嘆く資格があるのでしょう?

こんなことを考えているときに、日本を代表する大企業の不正が相次いで発覚しました。
とくに神戸製鋼は地元の誇りとも言える企業ですから、とても寂しい気持ちになりました。

そう言えば、今年の中3はこの時期になっても、自主勉強をしに来る生徒がほとんどいません。
これまた寂しい限りです。

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