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座間の事件について思うこと
「ここにいるとき以外は生きている感じがしません」

これは公立高校の上位校に通う塾生(女子)が授業中にふと口にした言葉です。
彼女は、不登校になったり、引きこもったりするような子ではありませんし、
対人関係でトラブルを起こすようなタイプでもありません。
身体を動かすのが大好きで、数学の才能に恵まれた、とても健全な女子高生です。

そういう子に「生きている感じがしない」と言わしめるほど、
今の中学校や高校の学校生活というのは張り合いのないものになってしまっているのです。
これを「その子個人の問題だ」と言って片付けるわけにはいかないくらい、
今の子供達には若さゆえの生命力というものが感じられません。

家庭では「あれをしちゃだめ」「これをしちゃだめ」と言われて育ち、
学校では「他のみんなと同じように」行動することばかり要求され、
自分では「周りから浮かないように」と周囲の顔色をうかがうことにエネルギーの大半を費やす。
やがては、生きること自体がつまらない義務の集積のようなものになってしまう。

現在のこの国の教育は、子供の個性や才能を引き出すためにあるというよりは、
全員を横一列に並べ、出る杭を打ち、全員の能力を均すこと以外に効果を上げてはいない、
と言ってもいいかもしれません。

今この国では、この横一線から上か下に外れてしまった者、つまり、
極端に能力が高い者と低い者は、肩身の狭い思いをすることになる。
何とか自分がそういう立場にならないようにするため、
みな当たり障りのないことしかしないし、言わなくなってしまっています。
こうして、毎日の生活がただただつまらないものになっていく。

現在、高校を中退する子供は、全国で毎年5万人以上、
小・中学校の不登校の児童数は実に12万人を超えています。
不登校になる子供自身、あるいはその家庭に問題がないとは言いませんが、
学校という教育システムが機能不全に陥っていることは確かでしょう。

しかし、これを社会的な問題と受け止め、心を痛める大人が果たしてどれくらいいるでしょうか。
義務教育を不登校のまま終えた人、高校を中退した人、そういう人達は一体どこへ行くのでしょう。
私にはこの国の社会は、そういう人達の居場所があるとは思えないのです。
この不登校や中退の問題は、おそらく引きこもりや自殺の問題と無関係ではないでしょう。
この国では、引きこもりは23万人を数え、
毎年の自殺者は2万人(交通事故死者の5倍、東北大震災の死者を遥かに)超えています。

先日、神奈川県座間市で起きた、9人を殺害・解体した事件でも、
容疑者の毒牙にかかった人の中には、中高を不登校で過ごした人がおり、
また全員が自殺志願者だったことが判明しました。
被害者達はみな、いわば自殺予備軍だったわけですが、
容疑者の話によると、その中に本当に死にたがっている人はいなかったと言います。
これは、本当に自殺してしまう2万数千人の背後には、
「死にたい」と思っている膨大な数の人間がいることを意味しています。

そういう人達は、おそらく本当に「死にたい」のではなくて、
日常の生活において自分が「生きている実感」が持てず、
また、自分が「生きている意義」を見出せないでいるのではないかと私は想像します。
彼らのように本気で自殺を考えるところまでは行かなくとも、
「生きている実感」「生きている意義」を感じられない人は、おそらく大変な数にのぼるでしょう。
こういうデータを見、先の女子高生の「生きている感じがしない」という言葉を聞くと、
とても残念なことですが、こう思わざるを得ません。

「果たして日本という国は人間を幸せにするのだろうか」


前回のブログで、
今の中学生の多くが小学生の頃のことをほとんど覚えていないと書きましたが、
彼女によると、
「日常生活では誰と接するときも、ほとんど自動化されたお決まりの対応しかしないし、
誰と話すときでも当たり障りのないことしか話さないから、何にも記憶に残らない」とのこと。
確かにそれでは「生きている実感」なんて持ちようがないかもしれません。

彼女自身も、うちに通い始める前(中2の終わり)までは、
そういう面白くもない日常を延々と繰り返すことが「生きる」ことだと思っていたと言います。
(正確には「生きているとさえ感じておらず、ただ義務をこなすだけの日々だった」と)
当然、自分がどうしたいのか、将来何をしたいのか、なんてことは考えてもみなかったそうです。
いやむしろ、そういう「自分本位なこと」は考えてはいけないものだとさえ思っていたようです。
彼女はそれすらも「自己中心的」あるいは「自分勝手な」態度とさえ感じていたそうですから。

新風館に来るまでの彼女にとって、「生きる」ということは、
個人的な欲求や願望を抑え込み、ただひたすら周りの人達に合わせて振る舞うことだったのでしょう。
彼女の言葉を借りれば、「無色透明な」人間になろうとしていたのです。
彼女は「自分が将来どうしたいのか」というのはもちろん、
「自分が一体どういう人間なのか」ということも「分からない」と言っていました。
そんな彼女は、うちに通い始めて学力はうなぎのぼりだったにも拘わらず、
自分で志望高校を決めることができませんでした。
「自分はこうしたい」という自分の意志に沿って物事を決めた経験が全くなかったからです。

これは随分後になってから聞いたことですが、彼女もやはり「自殺を考えていた」ようです。
もし彼女が我々と出会わずに「無色透明な」人間になろうとし続けていたとしたら、
彼女もまた座間で起きたような事件の被害者になっていたかもしれないのです。
実際、彼女は自分が被害者になったことを想像したと言います。
しかも、自分では死ねない人はそうしてもらった方がいいのかもしれないとも考えた、と。

しかし、命に関してはもちろん、どんな些細なことも、
自己決定を他人に委ねること、これは大変危険な罠です。
この国の多くの子供達(おそらく多くの大人も)それを知らない。
高校を決めること一つとっても、
「自分の成績ならこの学校くらい」「親にここへ行けと言われた」「この学校がいいという話を聞いた」
今や大半の子供(親も)がそうやって選びますが、どれも自分の意志で決めたとは言えません。
この選び方の何が問題かと言えば、
もし高校生活が上手く行かなかったときに、それを自分の責任だとは思わないところです。
「話が違う」「騙された」と感じるか、少なくとも「自分は悪くない」と思うことでしょう。
しかし、自己決定を他人に委ねておきながら、その結果について不満を言う権利などありません。
責任を伴う選択は決して自分では行わないが、結果が気に食わなければ拒否権だけは主張する。
これでは、毎年5万人も高校中退者が出るのも不思議ではないでしょう。

選択の結果に責任を持つ自己決定を行うためには、主体性と自律性が欠かせません。
今この国の教育に(あるいは人間に)決定的に欠けているのが、この主体性と自律性でしょう。
これらは、他人の顔色ばかり窺っている人間には望むべくもないものです。
自分の意志で行動する、それが主体性のある人間であり、
自分を律し、自らの言動には責任を持つ、それが自律性のある人間です。

こんな堅苦しいことを言わなくったって、
そもそも、「自分はどう生きたいのか」それを知っているのは自分だけです。
「自分はどういう生き方をするのか」これを決められるのも自分だけです。
もしそれが上手く行かなかった場合、その結果を背負うのも自分です。
人生における選択は、すべて自分の責任だと考えなくてはならないものなのです。

というのも、選択を他人に押しつけ、結果について責任を持たない人間は、
自由意思を放棄しているに等しいわけですから、
奴隷として生きることを選んだと言ってもいいことになります。
奴隷は文句を言ってはいけない、否、文句を言う権利すらないから奴隷なのですから。

「今ある自分の状態は、基本的には全て自分の責任である」
こんな単純なことが分からなくなってしまうとは。
日本人はみな頭がどうかしてしまったのでしょうか。
それで、みんなが幸せだと言えるのならまだしも、
自殺者が毎年2万人、不登校が12万人、引きこもり23万人という数字を前にして、
「日本は幸せに暮らせる国だ」と言う人がいたら、あまりに無神経と言うものでしょう。

「自分がどうしたいかを言えない国」「自己検閲の国」「生き方に選択の自由がない国」
とても悲しいことですが、それが今の日本という国の姿なのかもしれません。
これが「和をもって貴しとなす」という日本古来の考え方に由来するのだとすれば、
この国が再び破滅を迎える気がしてなりません。

こんなことを言っても、私の学んだ限りでは歴史的にもずっと、
国のこと、社会全体のことなど考えたりしない、
そんなものは自分と関係のない他人事だとしか思えないのが、
「ふつう」の日本人であるようです。
そして、数字としての死者などいくら数が多くとも、
悼むことなどできないのが人間というものです。

ですから、ぜひとも想像してみて頂きたいのです。
愛する我が子から面と向かって「生きている感じがしない」と言われるところを。
そして、我が子が座間の事件で被害者の一人になることを。

今の子供達は、そうなっても何の不思議もない状態、
言わば「生きながら死んでいる」のが「ふつう」なのですから。

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