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努力 その8
8.好き嫌いで向き不向きを判断してはいけない

 自分に何ができて何ができないかを見極めること、つまり、「自分を知る」ために忘れてはならない

こと、それは、好きか嫌いかで自分に向いているか向いていないかを判断してはいけないということ

です。

 まずは、「好きだからやる」と考えることの錯誤から。

 ほとんどの人は、自分の好きなことが自分に向いていることだと考える傾向があります。

「好きこそものの上手なれ」という諺があるくらいですから、確かに嫌いなことよりは好きなことの方が

上達する可能性が高いでしょう。もしそれが「本当に好きなこと」なら、どんなに辛いことにぶつかって

もそれに耐え、努力し続けられるはずだからです。逆に言えば、どんなに辛いことにぶつかっても、

好きでいられるのは「本当に好きなこと」なのです。それに「一生を捧げる覚悟がある」くらいでないと、

このレベルで「好き」だとは言えないでしょう。

 このレベルで「好きだ」と言うのなら、それが自分に向いているという判断をして全然かまわないと思

います。おそらくその道で食べて行けるようになるでしょう。ですが、そのレベルに達していない程度の

「好き」で、自分に向いていると判断するのは早計です。それではせいぜい「下手の横好き」で終わる

のが落ちでしょう。というのも、その程度の「好き」という気持ちは長続きしないものだからです。

それは、新聞・雑誌・テレビ・ネットなどのメディアで紹介されるアンケートの結果を見れば明らかだと

思います。

 「あなたの好きな○○は?」というアンケートの結果は、常にそのときに流行しているものが一位に

なるものです。しかし、2年もすれば全く違う答えがでるでしょう。自分が2年前にすごく好きだった

音楽なり、芸能人なりを思い浮かればいいと思います。今も、そのときと同じ情熱でもって好きでしょう

か?おそらく、多くの人は自信を持って「はい」とは言えないでしょう。

 こんなことを言うと、夢を壊すことになるのかもしれませんが、「好き」という気持ちは、そんなにあて

になるものではないのです。一生の問題である結婚にしたって、ただ相手を「好きだ」ということだけで

続けられるものではないのですから。「好き」になるのは簡単ですが、「好きでい続ける」のはとても難

しいことだと思います。

 にもかかわらず、人はつい「好き」という気持ちだけに頼って将来を決めようとしてしまうものです。

決して悪いことではないと思いますが、もしそれ以外に確信の持てる判断基準がないとしたら、それ

は大問題だと思います。そういう人は、何かを好きになっては飽き、好きになっては飽きを繰り返して

いるうちに無情に時間だけが過ぎ、そして、気がついたときには、どれもあきらめなくてはならないハメ

になるでしょう。

 こうした不幸が起こるのは、「本当に好き」=「一生を捧げる覚悟がある」というレベルで何かを好き

になるのは、それに出会ったときに最初からそう思えるものではないということを理解していないから

だと思います。もし最初からそう思えるものに出会ったとすれば、それ以上の幸運はないと思います

が、普通はそうはいかないものです。初めはそこまでは好きと思えなかったものが、それに打ち込ん

で必死に努力を重ねるうちにいつの間にか、それが自分にとってなくてはならないものになっている、

そういうものだと思うのです。以前にも書きましたが、スラムダンクの桜木花道君を思い出して下さい。

 何かを「本当に好き」になるのは、それをしようと決意する前ではなくする決意をした後なのです。

つまり、「好きだからやる」のではなく、「やろうと決意して努力したからこそ好き」になるものなので

す。だからこそ、どんなことにも努力を怠ってはいけないのです。そうでなければ、「本当に好き」な

ことには出会えないのですから。

 次に「嫌いだからやらない」ということの錯誤についてです。

 「好きだからやる」ということの裏返しですから、もちろん良いわけがないのですが、「嫌い」という感

情は「好き」という感情に比べても強固なものですから、より注意が必要です。にも関わらず、「食わず

嫌い」という言葉があるように、中味をよく知りもしないうちに起き得るという意味で、非常に厄介な感

情でもあります。当然のことながら、先入観に左右されやすく、感情的で安易で薄っぺらな判断であ

ることが多いのですが、なぜか「好き」という感情よりずっと強固で覆すのが難しい。人間はつくづく厄

介な生き物だと思います。

 たとえば私達は、職業柄、自分の担当する教科を生徒達が嫌いにならないように配慮するのです

が、入塾した段階で、すでに「嫌い」という予見をもっている生徒には大変苦労します。初めは、どんな

に嫌がろうと「嫌いでも何でもとにかくやってみろ」というしか方法がありません。自主性を尊重すると

か、生徒の気持ちを傷つけないようにとか、そんな綺麗事を言ってはいられません。

 しかし不思議なことに、最初はどれほど嫌がっていた生徒でも、自分ができるようになって来ると、

100%その教科を「好き」になるのです。もちろん、別にこちらが「好きになれ」と言ったわけではありま

せんし、好きになってもらおうとしたわけでもありませんが、人は自分ができることは「好き」だと感じる

のでしょうね。

 ここで明らかなのは、「好き」と同様「嫌い」という気持ちも全くあてにならないものだということです。

スラムダンクの桜木君も、他愛もない理由で、初めはバスケットボールが大嫌いでした。「好き」も

「嫌い」も、自分のごく限られた狭い範囲の経験と知識だけで決めてしまえるものだらか厄介なので

す。特に「嫌い」という気持ちが自分の中で生まれそうになったときには、ちょっと立ち止まって本当に

そうかどうかをよく考えてみるべきだと思います。というのも、そこで「嫌い」になってしまったら、もしか

すると自分の才能はそれをやってこそ発揮されるかもしれないのに、その可能性を自ら断ってしまうこ

とになるのですから。「嫌い」と判断するのは、もう少し努力をして、経験と知識を広げてからでも遅くな

いと思うのです。

 私の場合は楽器の演奏がまったくできないのですが、そのことをすごく後悔しています。小学2年生

のとき、音楽会の予行演習で上手くやれなかったことを他のクラスの先生に酷く叱られてから、音楽と

いう教科自体が大嫌いになったからなのですが、今思うと、何て馬鹿なんだと思うわけです。

 こう考えてくると、「好き嫌い」に頼って判断することがいかに危ういことかが分かると思います。「好

き嫌い」は自分に向いていることを判断する際には邪魔でさえあります。もしかすると、自分が「嫌い」

だと思い込んでいることの中に、自分の才能を発揮できるものがあるかもしれないのですから。

 自分に向いていることというのは、確かに、していて楽しいものです。でも、それは、自分が人より上

手くやれるからであって、初めから「好き」だったからではありません。一生懸命それに打ち込んでい

るうちに、気がつくと人よりうまくやれるようになっているものなのであって、そうして、いつの間にか

「本当に好き」なもの、欠かせないものになっているものなのです。

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