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精神力 その2
 高校受験生(中学3年生)を見ていて、毎年この時期になると痛切に感じるのは、

「この時期をどう過ごすかということが一生を大きく左右する」ということ。 

 勉強について言えば、この時期に学ぶ内容は、小1から学んできたことの総決算です。必然

的にその内容が受験で出題される問題の大半を占めます。当然、難度も高くなります。中3の

1学期までならある程度ごまかしが効きます。ありがちなのは、定期テストの範囲の内容だけ

頭に詰め込んでいき、テストのときに吐き出したら後はすっかり忘れるというやり方ですが、

この時期になるとそれが全く通用しなくなるのです。

 新風館では、もともとそういうやり方をする生徒は、たとえテストの点が良くても評価しませんし、

そういうやり方を改めるように指導していますが、「自分の頭で考える」ということを嫌がる子は、

なかなかそのやり方を改めようとしません。言うまでもなく、学んだことをきちんと頭に入れておく

ためには、まず「完璧に理解する」ことが必要です。そして、「完璧に理解する」ためには、「自分の

頭で考える」というプロセスが不可欠ですから、それを避けて通ろうとする子は、すべての学習

内容について曖昧な記憶しかなく、断片的な知識が頭の中を漂っている状態で、この大切な時期

を迎えることになってしまうのです。そうなると、一番肝心なときに成績が下がってしまうという事態に

なります。

 こういう状態に陥ってしまう子に共通するのは、「答えが書ければそれでいい」と考えているいうこと

です。彼らは「自分の頭で考える」ことをはなから放棄しているのです。確かに、新しく学習することと

いうのは、その人にとって未知のものですから、それを本当に自分のものにしようとするときには、

大変なエネルギーを使います。「完璧な理解を目指して自分の頭で考える」というプロセスは、「試行

錯誤の繰り返し」であり、このときに、脳が最も活発に活動するからなのです。確かにしんどい、

しかし、だからこそ頭が良くなるのです。教わったことをただその通りに紙の上で再現するだけでは、

大脳皮質は全く刺激されません。だから、テストで点が取れるからと言って頭がいいとは限らないと

言えるのです。

 最近の子供達は、この頭を使うしんどさと言うか、エネルギーを使うということに対して、耐性が

まったくと言っていいほどありません。頭を使わせようとすると、拒絶反応を示すこともしばしばです。

そういう反応をする子供達は、表情にも共通の特徴があります。恐ろしいことですが、そういうとき

の彼らの表情には、精気が全く感じられず、本当にくたびれた中年のような顔つきになるのです。

小学校の低学年の子でさえそう見えることがあります。そういう子供達を見ていると、学力が低下

するのも当然だと感じますし、それ以前に、人として大切なものが欠落していると感じます。

「人間は考える葦である」というのはパスカルの言ですが、彼らは考えるということ自体ができないの

ですから。

 では、なぜこんなことになるのでしょうか。もちろん、様々な要因が絡まり合って生じた現象だという

ことは間違いないのですが、私達が最大の要因だと考えるのは、今の大人が子供に対して「負荷」

をかけなくなったということです。「負荷」というのは、人間が成長するときに不可欠なものです。

筋肉は負荷をかけなければ発育しません。脳だって同じです。適切な負荷をかけて初めて発育する

のです。何の苦労もなくできることを何度やったって脳はまったく活動しないのです。心(精神)だって

同じです。辛い思いをしてこそ強くなる。

 いつからかこの国では、そんな当たり前のことを子供に要求しなくなってしまいました。その代わり

に出てきたのが「ほめて伸ばす」という考え方でしょう。もちろん、ほめるのは悪いことではありません

し、教育には不可欠なことです。しかし、「ほめる」のは、子供が何らかの負荷に耐え抜いて何かを

成し得たときにするべきです。何の苦労もなくやったことをほめそやすのは「おだてる」ことであって、

「ほめる」のとは根本的に違います。私達大人は子供と接する際、この点についてよくよく考えて行動

すべきでしょう。

 漢字で書けば「ほめる」というのは「誉める」であって、それは子供に栄誉を与える行為なのです。

一方、「煽てる」というのは煽動することですから、それをされた子供は増長するだけで、いわゆる

「いい気になる」だけです。人の言うことに耳を貸さない子供があまりにも増えているのは、そこに

原因があるように思えてなりません。

 そういう子は、「いい気になる」その程度と同じくらい、非常に打たれ弱いものです。自分ができない

ことにぶつかると、それを何とか他のもの(人・物を問わず)のせいにしようとします。できないことを認

め、その負荷(あるいはプレッシャー)に立ち向かい、それを乗り越えようとはしません。そういうことに

対する耐性ができていないのです。

 そうした負荷を避け続けるとどうなるかと言えば、酷い場合には引きこもり、そこまでではなくても、

社会に出てから使い物にはならない人間になってしまうでしょう。そうならないためにこそ教育があると

私は思うのですが。しかし、昨今は、入塾されるときから我が子を「ほめて伸びるタイプです」とおっし

ゃる親御さんが多くて、正直とても苦労しています。そういう子を何とかしようとすると、どうしても手加

減しなければならず、負荷を騙し騙しかけて行くしかないからです。それで、最近では卒塾生から「以

前のように厳しい方が良かった」と言われることもしばしばなのですが、そういう子に対しても最小限

の負荷で最大限の結果を出していると思っています。[定期テストでは学校平均を毎回15点以上上

回っています]

 しかし、受験を前にしたこの時期になると、それではどうしても負荷が足りません。今の子供達は酷

い子でなくても、力ずくで持っていくというやり方ができませんから、負荷が足りないということに自分

で気づかせるようにしています。実際、みなそれに気づくところまでは行きます。ところが、その後の道

ははっきりと二つに分かれます。「これ以上しんどい思いはしたくない」と考える子と、「何とか今の状

態を打開しよう」と思うのか。どちらの子に明るい未来が待っているのかは明らかです。そして、15歳

の時点でしたこの決断はその後、覆ることはありません。もう1000人をゆうに越える子供を見てきま

したが、例外は見たことがありません。おそらく加齢によって柔軟性が落ちてしまうからでしょう。私達

は「15歳の壁」と言っています。昔の人が元服(成人)を15歳に定めていたのにはそういう意味があっ

たのではないかと、改めて感心させられます。

 この15の決断に際して重要なのは、遺伝でも才能でもないというのが私達の実感です。「現状を打

開しよう」と決意した子は、その後の人生で一生成長し続けますから、たとえ、才能に恵まれていなく

とも、「これ以上しんどい思いをしたくない」と考えた才能ある子をいずれはしのぐのです。

 かくほどに重大な岐路に立ったとき、その道を分けるものは何なのか。私は「精神力」と言う以外に

表現を知りません。

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