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精神力 その10
 初めて日本人論を書いたルース=ベネディクトは、その著書『菊と刀』の中で日本の文化を「恥の文化」であると規定しています。確かに日本の社会では、恥をかかされるということは最大の屈辱です。それゆえ、メンツ(面子)とか顔という言葉を恥との関連で使う成句が多いのでしょう。顔を立てる、顔に泥をぬる、顔向けができない、メンツに関わる、等々です。「世間で恥をかかないように」というのは古くから日本人の倫理観の中心であり、また、恥をかかないですむようにすることが教育の根本だったのだと思います。もしかすると向上心も、そうした恥をかきたくないという気持ちから生じていたのかもしれません。

 ところが、昨今の日本人は、恥ずかしいという感覚自体が薄れて来ているのではないかと思うのです。逆ギレという反応も恥知らずの最たるものだと思いますが、それよりも我々が深刻だと思うのは、その年齢なら知っていて当然のこと(例えば中学生以上なら地球が回っていること等)を自分が知らないのに、それをちっとも恥ずかしいと思わない子供が増えたということです。彼らの多くは、知っている方がおかしいとさえ思っています。そういう状態の子供が年々増えており、今では過半数がそういう状態ではないかと思うのです。

 そうすると、子供達の間では「知っている方が悪い」というような空気が出来上がってしまいます。そういう人間関係の中では、「知らないことが罪」なのではなく、「知っていることが罪」になってしまいます。こうなると子供達の間で、無知を競い合っていても不思議ではありません。実際「そんなん知らんやんなぁ」「知っとう方がおかしいやんなぁ」と同意を求める科白を何度耳にしたことでしょう。そういうメンタリティこそが、子供達の学力低下に歯止めが掛からない一番の理由ではないかと思います。

 日本の文化では、欧米人のような「他の奴がどういう状態だろうが関係ない。自分は自分」という強さ、つまり、「周りの人間がどういう状態であろうと流されない強さ」を持った人はなかなか育ちません。そういう人は、自分勝手とか自己中心的と言われやすく、排除されてしまう傾向があるからです。それで、この国は人類の歴史を変えるような大天才は生まれにくいと言われています。しかし、その代わりに、「恥をかかないように」という歯止めをかけることで全体の能力水準を下げない努力をして来たのだと思います。飛び抜けた能力を持つ人間が育ちにくい代わりに、極端に能力の低い人というのもいない、そういう国だと思うのです。全体の平均値は世界一の国。少なくとも、それが戦後この国の発展を支えてきたことは確かでしょう。ところが、この「恥」とか「恥ずかしい」という感覚が失われたことで(勿論それだけが原因だとは言いませんが)、それも過去のことになってしまいました。

 このままでは、子供達の能力の低下(あえて学力に限定しません)とこの国の衰退は避けられないように思います。それを防ぐためには、再び平均値を上げる方向で教育を見直すか、さもなければ、「他の奴がどういう状態だろうが関係ない。自分は自分」という本当の強さを持った少数の優秀な人間を育てるか、道はそのいずれかしかありません。しかし、どちらにしても茨の道であることに換わりはありません。

 前者の道、つまり全体の平均値を上げるためには、再び「恥」を中心とする倫理観を取り戻さねばならないということになります。しかし、こうした倫理観というものは、社会全体のコンセンサスを前提とし、かつ個々の家庭教育で培われるものですから、残念ながら一度崩壊したものがそう容易くもとに戻るとは思えません。それでも自分だけ(自分の子供だけ)はと、頑張っても「恥」を知らない人達に囲まれて自分だけが「恥」を知っているというのは、大変に生きにくい。
 
 では後者の道はどうか。やはり難しい。というのも、「周りの人間がどういう状態であろうと流されない強さ」を手に入れるということは、この国では長く異端児とされて来た人間になるということだからです。いじめ、疎外感、その苦しみは想像を絶するものでしょう。それに堪えられる人間が果たして出て来るのか。これまた大いに疑問です。

 今この国の教育が迷走を続けるのは、このジレンマを解消できないからだと思うのです。ただ一つはっきりしているのは、どちらの道を選ぶにせよ、能力の向上を望む限り、並々ならぬ精神力が必要だということです。それを教えずに果たして教育と言えるのでしょうか。

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