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記憶力について
 面談の機会があると、中学生のお子さんをお持ちの御父兄の方はよく、「理科や社会なんか

覚えればいいだけなのに、どうしてできないのか分からない」とおっしゃいます。しかし、今の

子供達の多くは、その『覚える』という能力自体がまったく身についていません。


 今の子供達は、とにかく『覚える』のが苦手です。中学生なのに、図形の面積の求め方がい

つまでも覚えられなかったり、漢字や英単語を3つ4つ覚えるのに1時間も2時間もかかったり

と、例をあげればキリがありません。そういう子達の多くは、まだ九九があやしかったり、カタ

カナをまともに書けなかったりします。今では‘あいうえお’を50音順に全部言えない子さえい

ます。


 そういう子供達に「小学生の時に、先生とかに何か言われんかったん?」と尋ねると、「別

に。覚えてなくても『まあ、ええわ』とか『覚えた方がいいよ』って言われるくらいやった」という

ような答えが異口同音に返って来ます。そう答える彼らには、危機感はまったく感じられませ

ん。これも、ゆとり教育がもたらした弊害の一つなんでしょうね。


 今では、ゆとり教育そのものに対しては、失敗だったと認める人が増えて来たと思います。

でも、『暗記させる』ということに対しては、『つめこみ教育』というネガティブな言葉のせいもあ

って、いまだに否定的な見方をする人が多いのではないかと思うのです。


 でもよく考えてみて下さい。人間、覚えてないことはできません。勉強に限らず、スポーツ

だって、体がまだ覚えてない技術は実戦では絶対に使えない。だからこそ、体が覚えるまで

何度でも練習(訓練)する。どんなことでも、実戦に使える技術というのは、地道な練習(訓練)

の積み重ね=『覚える』というプロセスがあって初めて身につくものです。『覚える』ことを嫌が

っているようじゃ何もできるようにはなりません。


 たしかに、意味もわからず理解もせずに、テストで点を取るためだけに、ただただ『暗記す

る』のは不毛です。そんな勉強しかしたことがない人は、文科省と多くの教育関係者がそう考

えたように、創造性を欠いた受験ロボットのような人間になるのかもしれません。


 しかしです。そもそも『覚える』ことができない人間に創造性を求めても無理だと思いません

か。創造は優れた模倣から始まるものです。まずは、先人の優れた知恵や技術を問答無用で

『覚える』こと。それを習得した人が「さらに良いものを」と考えるからこそ、新しい発明や発見

が生まれるのでしょう。九九ができない人に方程式が解けるはずがなく、方程式が解けない

人に物理を理解できるはずがなく、物理を理解できない人に電気を理解できるはずがなく、

電気を理解できない人に携帯電話が作れるはずがないのです。『覚える』ことは創造の基礎

だと言えるでしょう。


 ですから、できれば頭が柔らかい小学生のうちに、覚えられるものはどんどん覚えるべきだ

と思います。ものを覚える習慣がないまま中学生になってしまった子は、もうすでに頭が硬く

なってしまっていて、基本的なこと(たとえば英語の人称代名詞 I my meなど)を覚えるだけ

でも大変な苦労をします。ようやく覚えたと思っても、それを使わない日が2、3日あると、すぐ

に忘れてしまいます。こうなると、文字通りザルに水を入れているようなもので、いくら時間が

あっても足りません。


 この状態を打開するには、残念ながら、本人の気合と根性に期待するしかありません。脳の

仕組み上、見たこと聞いたことがその人の記憶に残るかどうかというのは、その人自身の感じ

方と選択にかかっているそうですから、教える立場の人間に出来ることと言えば、印象に残る

ように授業に工夫をこらすことと、辛抱強く見守ることくらいです。


 しかし、見守ると言っても、中3になってから入塾してくる子の場合、どうしても残された時間

が限られているため、必要なことは否応なしに覚えさせなければなりません。この際、子供が

どんなに嫌がろうと、どんなに苦しもうと覚えさせるのが教師としての務めであると思います。


 子供達にプレッシャーをかけるのは、子供にとっても教師にとっても、決して気持ちのよいも

のではありません。教室の雰囲気も重くなります。しかし、それを恐れ、適当にお茶を濁して

おいて、結果が不合格なら「結局は本人次第ですから」と言って逃げを打つ、あるいは、合格

する学校しか受けさせないのでは、教師失格だと思います。教師に限らず、憎まれ役を買っ

て出ることのできない大人というのは、結局、子供から尊敬もされません。


 これから必要なことを学ぶ子供達には、自分が何を『覚える』べきなのかを判断することは

できません。ですから、『覚える』べきことをきちんと覚えさせるのは、先に生まれた者(先生・

大人)の責任です。たとえ子供が嫌がっても、覚えさせるのが本当の親切というものでしょう。

『つめこみ教育』という言葉に惑わされて、子供達に必要なことをきちんと覚えさせないと、結

局は子供達自身が追い込まれることになります。人称代名詞すら覚えられない子が、高校の

授業内容を理解できるはずがありませんし、将来まともに仕事を覚えられるはずもないのです

から。


 こうした子供達の現状を鑑みれば、毎年高校中退者が数万人にのぼるのも、ネットカフェ難

民に象徴されるように定職につけない若者が無数に存在することも、何ら不思議ではありませ

ん。おそらく彼らの多くは、社会を生き抜いて行くために必要な最低限の技能さえ身について

いないのです。これは、不況による年功序列・終身雇用制の崩壊という社会構造の変化だけ

はとても説明できません。学びの基本中の基本『覚える』ということを軽んじる風潮に表れてい

るように、教育の在り方を私たちが見失ってしまったところに根本的な原因があるのだと思い

ます。


 『ゆとり教育』は失敗だったということが明らかになって来ました。ですから、「つめこみ教育

は良くない」というのも、実はあやしいものなのです。こう考えると、今の時代は、一般に当た

り前と思われていることも、短絡的に受け入れるのではなくて、ちょっと立ち止まって考えてみ

る必要がある気がするのです。当たり前のことが本当に当たり前なのか、一度疑ってみること

それが大切なのではないでしょうか。

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